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北尾崎北遺跡第2次 (羽生市)

読み方
きたおさききたいせき
場所
羽生市大字尾崎字北尾崎980-1他
調査期間
平成31年4月1日~令和2年3月31日
主な時代
平安時代、中世

北尾崎北遺跡は、羽生市役所から北に約2.7㎞、利根川の右岸に立地しています。利根川堤防強化対策事業に伴い、平成30年10月から発掘調査を行っています。

【以下、令和2年3月更新】 ————————————————————————————————————


平安時代の竪穴住居跡のカマドでは、使わなくなった土器を支脚として再利用していたようです。エコですね。


他にも、平安時代の竪穴住居跡からは須恵器と同じようにロクロを使用して成形した土師器が見つかりました。


今回の調査では平安時代の竪穴住居跡のほか、中世の区画溝、建物跡とみられる柱穴、火葬跡、お墓などが見つかりました。写真は、発掘したところを高所作業車から撮影したものです。円形の小穴がたくさん見つかっていますが、建物の柱穴や柵の跡と考えられます。

【以下、令和2年1月更新】 ————————————————————————————————————


掘りあがった平安時代の竪穴住居跡です。写真の住居では、床面の中央に4本の柱穴が見つかりました。写真の上方にはカマド、下方には入口に伴う掘り込みもあります。


平安時代の遺構として、一辺約2mの四角い大きな土壙が見つかっています。中からは、炭化材とともに土師器や灰釉陶器などが出土しました。


集石墓付近の穴から中世に埋葬されたと考えられる人の頭骨が見つかりました。半分は後世に掘られた溝に削られていました。痛そうですね。

【以下、令和元年11月更新】 ————————————————————————————————————


中世の建物の柱穴跡と考えられるピットが多数見つかりました。写真にある赤色で囲まれたピットをつなげると、桁行2間、梁行1間の建物跡と分かりました。


中世の建物跡と考えられる柱穴の中には、写真のように、柱の沈み込みを防ぐために、柱の根元に石が置かれたものもありました。当時の工夫がうかがえます。


中世の集石墓の調査が進み、砂利を方形に敷き詰めた上に河原石を積んでいたことが分かりました。今後は、砂利敷きの下の状況を調べていきます。

【以下、令和元年9月更新】 ————————————————————————————————————


平安時代の住居跡を調査している様子です。住居跡から出土した遺物を丁寧に掘り出しています。


写真中央の遺物は、灰を原料とした釉薬(ゆうやく)をかけて焼かれた灰釉陶器(かいゆうとうき)と呼ばれるものです。平安時代の住居跡から出土しました。当時の人々が、素焼きの土器のほかに施釉(せゆう)された陶器も使っていたことが分かります。


中世の墓跡から人骨が出土しました。このように蔵骨器に納められた人骨以外に、墓穴に直接埋葬されたものも見つかっています。

※11月4日(月・振替休日)遺跡見学会を実施しました

【以下、令和元年7月更新】 ————————————————————————————————————

北尾崎北遺跡では、これまでに平安時代の竪穴住居跡が多数見つかりました。


この写真は住居に取り付けられたカマドです。住居の東側に造られていました。他には北側に造られた住居もありました。カマドの方向は、時期や当時の風向きなどが関係していると考えられます。


住居跡からは生活に使われた土器の破片が出土しました。使わなくなった住居のくぼみに捨てられたものだと考えられます。


中世の溝跡が見つかりました。中央の溝が埋ったのち、左側の溝が掘られていました。溝が長期間にわたって場所をずらしながら存在していたことが分かります。

【令和元年5月作成しました】 ————————————————————————————————————


中世の墓跡の中から石組(いしぐみ)が検出されました。石が敷き詰められた状態を図面に描いて記録しています。


中世の火葬跡です。火が当たっていた場所は赤く焼けていました。堆積した炭の中には骨のかけらが残っていました。


火葬した骨は、陶器製の甕などに納めて埋葬されていました。手前にある緑色の石は、板石塔婆(いたいしとうば)というお墓に設けられた供養塔の一部です。