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宮東遺跡 (加須市)

読み方
みやひがしいせき
場所
加須市大越畑ヶ田2538-1他
調査期間
平成26年4月1日〜平成27年3月31日
主な時代
古墳時代、奈良・平安時代、中・近世

【平成27年3月更新しました】

宮東遺跡は、埼玉県北東部の加須市にあり、利根川の右岸に形成された自然堤防上に立地しています。調査は利根川の堤防強化対策工事に伴って平成24年度からはじまり、今年度は第4次調査になります。
これまでの調査で、古墳時代前期から奈良・平安時代の集落跡が発見されています。また、宮東遺跡からは中近世の遺構・遺物も発見されています。ここは、江戸時代に利根川の舟運を担った大越河岸(おおごえかし)の一部でした。この地が鎌倉時代から栄えていたことがわかりました。
5月に入り、表土の掘削も終わり、中近世の面の調査に着手しました。現在は遺構確認を行っており、検出された遺構は順に調査をしています。

※7月19日に遺跡見学会を開催しました

 作業風景

 調査区全景

 

【以下、平成26年10月更新】 -----------------------------------

 平安時代の大地震に伴う液状化現象を示す噴砂が、床(土間)一面に広がる住居跡が発見されました。地震の振動によって地中深くの砂層から水とともに噴出した砂は、床を切り裂きシート状に広がっています。まさに地震の発生したその時に人々が暮らしていた住居跡が、はじめて発見されたのです。しかもこの住居跡は、床に広がる噴砂の上に炭を敷き、さらに土を貼り土間(貼床)を作り直したことがわかりました。地震に立ち向かう古代人の不屈の息吹が伝わる発見です。

Miyahigasi10_1 遺構の確認状況

Miyahigasi10_2 噴砂の状況(床面の堆積)

Miyahigasi10_3 噴砂の状況(地下の砂層から砂が噴出した)

Miyahigasi10_4 噴砂の状況(壁溝・貯蔵穴周辺)

 

【以下、平成27年1月更新】 -----------------------------------

 火山灰を含む耕作土の下から、平安時代の集落が姿を現わしました。この火山灰は、天仁元年(1108)に浅間山が噴火したときに降下したものです。調査区の西側では、竪穴住居跡や掘立柱建物跡が発見されました。それに対し東側では、細い溝跡が並行して発見されました。東西または南北方向に多数の溝が並行してのびており、畠の畝間と思われます。また、一定の範囲を方形に区画する溝もあり、平安時代の条里型地割にかかわるものと考えられます。掘立柱建物跡と溝跡群は、ほぼ同じ方向です。以上のことから、宮東遺跡は、東に畠(耕作域)、西に居住域の広がる集落であることがわかりました。

 掘立柱建物跡
東西二間、南北二間以上の側柱建物(がわばしらたてもの)と思われます。

 調査区中央付近の畠跡
並行する溝跡や土壙が見えます。

 

【以下、平成27年3月更新】 -----------------------------------

地震に襲われた平安時代の竪穴住居跡では、地震発生時の様子が明らかとなってきました。
この住居跡の床一面には、炭が薄く広がっていました。液状化現象で地中から噴き出した砂は、炭の下に一旦留まり、一部は炭層を突き抜けて床面に薄く広がりました。
炭層の直上には須恵器の椀などが残されていました。

宮東1503-1 液状化現象の影響を受けた住居跡
建物の床一面に広がる炭

宮東1503-2 床面に広がる噴砂
炭のすき間の灰色っぽい部分が噴砂