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長竹遺跡 (加須市)

読み方
ながたけいせき
場所
加須市大越字樋ノ口702-1他
調査期間
平成25年4月1日~平成26年3月31日
主な時代
縄文時代

【平成26年3月更新しました】

 長竹遺跡は、利根川の堤防強化対策工事に伴って、平成22年から継続して発掘調査を行っています。
 現在は、縄文時代後期から晩期(約3,500~3,000年前)の環状盛土(かんじょうもりど)遺構を調査しています。
 長竹遺跡では、盛土の中から大きな住居跡(建物跡)が発見されました。写真の住居跡は、床全面に赤く焼けた土が敷かれ、壁ぎわには炭化した杭列が残っていました。縄文時代の住居跡としては大変めずらしいものです。

5月11日(土)に遺跡見学会を開催しました。

写真1

壁際にたくさんの柱穴が並んだ住居跡です。炉と出入り口が2か所ずつ発見されたことから、建て直されたことがわかります。

写真2

床面が長方形に焼けた範囲の中央に、丸い炉が造られています。下半は赤く焼けていますが、上半に貼られた白い粘土は火を受けた跡がありません。

表面が赤く彩られている浅鉢の破片です。文様は、関西地方で見つかる土器に似ています。

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遺跡見学会を開催しました。小雨の中、たくさんの方にご参加いただきました。ありがとうございました。

重なり合う新旧の住居跡 重なり合う新旧の住居跡

床全面に焼土を敷き詰めた住居跡 床全面に焼土を敷いた住居跡

 強い火力で厚く焼けた炉跡

炉の中にぎっしりと詰まった灰 炉の中にぎっしりと詰まった灰

壁際に厚く貼られた焼土と、外周に打ち込まれた杭 壁際に厚く貼られた焼土と、外周に打ち込まれた杭

並べられた石棒・石剣・土版 床に並べられた石棒・石剣・土版

 床面から出土した土偶

 

【以下、平成25年7月更新】 ————————————————————————————————————

遺体が埋葬されていた土壙墓(どこうぼ)です。穴の長さが1.2mほどで、からだを伸ばした成人には小さいお墓です

土壙墓の中には、土瓶のような注口土器(ちゅうこうどき)が供えられていました。

人骨が見つかった土壙墓もありました。偶然にも、炭化物がたくさん堆積していたところに墓穴が掘られていたため人骨が腐らずに残っていました。骨の特徴から、成人女性とわかりました。

長竹遺跡ではたくさんの耳飾りが出土しています。土偶に表現された耳飾りと比べてみてください。

 

【以下、平成25年8月更新】 ————————————————————————————————————

床全面に焼土を敷いた住居跡の全体像が見えてきました。一辺約12mで、写真に写った人と比べるとその大きさの際立っていることがわかります。環状盛土の内側に向かって、突出する出入り口がつくられていました。

 

【以下、平成25年9月更新】 ————————————————————————————————————

小さな柱穴の中からきれいな土器が見つかりました。柱を抜き取った後に入れられたものです。「おまじない?」のためでしょうか。

縄文時代の貯蔵用の穴で、袋のように底が広がった形をしています。木の実などを蓄えたものでしょう。

 

【以下、平成25年11月更新】 ————————————————————————————————————

縄文時代の住居跡の中から非常に小さな石製の装飾品が3つ並んで見つかりました。紐が通されたまま置かれたのかもしれません。

上空より撮影した長竹遺跡です。この範囲の調査は9月末で終了し、引き続いて北側(左)の調査に着手しています。

 

【以下、平成26年1月更新】 ————————————————————————————————————

10月からはA区の北側に位置するD区の調査が始まりました。調査区全体に平安時代と考えられる畠跡が広がっています。
このほかに近世~近代の井戸跡・溝跡・土壙が発見されています。井戸跡は方形の穴を掘って井戸穴を掘り込むものや、木製の井筒を利用するものが見つかりました。溝跡は調査区の縦方向と横方向にのびており、区画溝と考えられるものがありました。土壙は、キセルや古銭が見つかりお墓と考えられるものの他に、桶を土中に埋めて中に瓦や簪(かんざし)などを捨てたものが見つかりました。


遺構検出直後の長竹遺跡D区です。
画面左下から右上に向かう畠の畝跡や溝跡が確認できました。

遺構掘削後の状況です。深い溝跡が縦横に走っています

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調査区の中央から北側にかけて井戸跡が多数見つかりました。
この井戸跡には、高さ約1m20cmの井筒が使われていました。

【以下、平成26年3月更新】 ————————————————————————————————————

 中・近世(約800~200年前)の畠や溝跡・井戸跡などの下から、平安時代(約1200~1000年前)のムラ跡が発見されました。これまでに、20軒近くの竪穴住居跡が見つかっています。通常は竪穴住居跡の中からはたくさんの土器が見つかるのですが、長竹遺跡では少量の土器しか出土しません。これは、どの住居跡にも共通する特徴です。このムラの人たちは、引っ越す際に家財道具を持ち去って行ったのでしょうか。

平安時代の(約1200~1100年前)の竪穴住居跡です。およそ4×3mの長方形の建物で、左上の外へとび出した部分は煮炊きをしていたカマドの跡です。

竪穴住居跡の北東隅に造られたカマドです。残りが良く、当時の鍋・釜の役割をした甕を支えるための支脚(今の五徳)も見つかっています。また、地面に細長く掘られた煙突の先端は、壊れた土器を再利用して補強されていました。

竪穴住居跡の床面からは、炭になった草などを編んだ敷物(当時のカーペット)が見つかりました。