EXCAVATION RESULTS発掘成果
【440集】長竹遺跡Ⅱ

市町村加須市
主な時代縄文
発行年度2018
長竹遺跡は利根川沿いの埋没台地上に立地し、縄文時代から近世にわたる複合遺跡である。本書では縄文時代(第二面)後期から晩期にかけて形成された環状盛土遺構の南側から検出された遺構・遺物に関する報告書である。
盛土外径は想定190mにおよび、環の内側から外側に向かって形成されていた。環の内側の窪地は基盤土壌のローム層が削平されたような状況であった。後期前葉から晩期中葉にかけての遺構は、盛土の最も標高の高い範囲から集中して検出された。住居跡のうち、開始期にあたる後期前葉では環のやや内側から1軒のみ検出され、後期中葉から後葉にかけては環の外側に拡張し、軒数も増加していた。各住居跡は、同一地点内での拡張建て替えが頻繁に行われ、床面のかさ上げも行われていた。
最大規模を誇る一辺12m級の第43号住居跡は、後期後葉から晩期初頭まで継続して営まれた長期継続型の所謂「大形竪穴建物址」であった。最低2回の拡張建て替えを行っていた。最終段階では複数の炉跡が備えられ、床面が焼土で覆われていた。また、遺物は一般の住居跡とは異なり、装飾品や祭祀用具、狩猟用具等が主に壁寄りから出土した。
晩期に入ると規模が小形化し、軒数も減少していた。住居跡のプランは、後期前葉の円形から後期中葉の「D」字型へ変化し、さらに後期後葉前半の隅円方形、後葉後半から晩期前葉までの方形へ変化するなかで、晩期ではプランが崩れ、不整形で柱穴や入り口部の配置も規則的配置とならない住居跡が検出された。晩期中葉に入ると住居跡は検出されず、環の内側から検出された掘立柱建物跡や、円形柱穴列等が当該期の遺構として検出された。また、内縁側傾斜面から、多数の小形ピットが晩期包含層から掘り込まれて検出された。
土壙は住居跡が密集する地域よりやや環の内側から検出され、袋状で貯蔵穴が想定される土壙も検出された。また、土壙墓が3基検出された。北盛土で検出された土壙墓群の延長線上に位置していた。第277号土壙は長方形で壮年女性の全身骨格が仰臥伸展葬で検出された。頭位左上からは、晩期の注口土器が完形で置かれていた。
遺物は、縄文時代早期から晩期中葉にかけての膨大な量が出土し、祭祀遺物、狩猟用具、加工具、装身具、日用雑器等に至るまで幅広く出土した。