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北大竹遺跡第18次 (行田市)

読み方
きたおおたけいせき
場所
行田市大字若小玉字枳1900-1他
調査期間
令和元年10月15日~令和2年10月31日
主な時代
古墳時代、奈良時代、平安時代

【以下、令和2月3月更新】 ————————————————————————————————————

北大竹遺跡第18次調査では、A区・B区・C区の3地点で発掘調査を予定しています。現在調査中のB区では、北東方向から南東方向にかけて長さ約300mにわたって調査を実施しています。
調査区の南東側では古墳時代後期を中心とした竪穴住居跡が多数検出されており、居住域であったことが明らかとなりました。
一方、調査区の北東側では古墳時代後期から飛鳥時代にかけての遺物が大量に出土している状況を確認することができました。なお、A区・C区の調査は令和2年度に引き続いて行う予定です。

写真1
B区の調査区全体を東から撮影した写真です。北には浅間山や赤城山、榛名山、日光男体山といった関東地方を代表する山々や、晴れた日には西に富士山を望むこともできます。

写真2
調査区中央のやや北東寄りから上幅約7m、深さ約1.5mの断面逆台形の古墳時代後期の大溝が検出されました。この大溝を境に北西側では大量の遺物が出土しており、反対側の南東側では竪穴住居跡が多く確認されています。

写真3
東海地方で生産された合子(ごうす)形の須恵器の身と蓋のセットが5個体まとまって出土しました。

写真4
人が両腕で抱えるほどの須恵器の大甕です。正位で据え置かれていました。周りからも須恵器甕が複数見つかっています。これらは在地の窯のほかに東海地方の窯で作られたものです。

写真5
子持勾玉と臼玉が、土器の中に重なっていました。使用方法の具体的な様子がうかがえる貴重な事例といえます。

写真6
複数の竪穴住居跡が重複して検出されています。古墳時代後期の竪穴住居跡が多いですが、奈良時代や平安時代の竪穴住居跡も検出されており、長期間にわたって集落が形成されていたことが分かりました。

【以下、令和2年1月更新】 ————————————————————————————————————

北大竹遺跡第18次調査では、A区・B区・C区の3地点での発掘調査を予定しています。現在調査中のB区では、古墳時代後期の遺物がまとまって出土した場所や竪穴住居跡などの遺構が検出されています。

 写真1
複数の須恵器の甕など、多くの遺物がまとまって出土しています。

 写真2
土器片とともに子持勾玉や剣形や鏡形の模造品なども出土しています。

 写真3
写真2とは別の子持勾玉と模造品の出土状況です。

写真4
竪穴住居跡も見つかっています。

【令和元年11月作成しました】 ————————————————————————————————————

埼玉(さきたま)古墳群の北方約2㎞にある北大竹遺跡は、これまでにも行田富士見工業団地北東側において古墳時代から平安時代の大規模な集落跡と古墳群が発見されています。周辺には八幡山古墳と地蔵塚古墳の2基の大型古墳が所在し、若小玉古墳群が形成されています。
このたび行田富士見工業団地拡張地区産業団地整備事業に伴い、10月から発掘調査を開始しました。


発掘調査に入る前の様子です。