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銭塚・反町遺跡 (東松山市)

読み方
ぜにづか・そりまちいせき
場所
東松山市高坂 (問い合わせ:0493-34-6232) 
調査期間
平成17年4月1日~平成18年3月31日
主な時代
弥生時代~平安時代

遺跡見学会を、下記の要領で開催しました。

銭塚・反町(ぜにづか・そりまち)遺跡の見学と発掘体験

日時 平成17年7月31日(日)
内容  東松山市高坂の都幾川沿いにある銭塚・反町遺跡は、現在、(財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団が発掘調査を実施しています
 今回の見学会では、反町遺跡の「発掘体験」を中心に、古墳時代の人々の生活の跡や、土器や木製品などをご案内いたします。
また、これまでに発掘された「銭塚・城敷遺跡」の成果も合わせて紹介いたします。
 この夏は親子で、発掘体験で思い出づくりはいかがでしょうか。
主催 埼玉県立埋蔵文化財センター・(財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団
共催 埼玉県立博物館・東松山市教育委員会

見学会スナップ

当日は、猛暑の中、午前・午後で計370名の参加者がありました。
特に体験発掘は盛況で、炎天下にもかかわらず来場者の半数以上の方が参加され、指先に触れる土器の感触に歓声をあげました。

遺跡の説明
遺跡の説明
方形周溝墓
方形周溝墓
遺物展示室
遺物展示室
体験発掘
親子で体験発掘
火おこし体験
火おこし体験
ドングリの磨りつぶし
ドングリの磨りつぶし

反町遺跡から出土した徳利型花瓶・鉄剣について発表しました(H18.1.17)

東松山市反町遺跡の概要

反町遺跡は東松山市大字高坂、都幾川(ときがわ)右岸の水田地帯にあります。今年度の調査では、弥生時代後期から古墳時代前期にかけての多数の竪穴住居跡からなるムラと方形周溝墓という墓の跡、古墳時代中期~後期にかけての墓である古墳群、ムラを取り巻くように流れた大溝の跡などが発見されました。  

埼玉稲荷山古墳と同時代の鉄剣が出土(反町遺跡第4号墳)

古墳は9基確認され、8基が円墳、1基(第4号墳)は前方後円墳という形の古墳であることがわかりました。大きさは推定で約35m、古墳の周りに掘られた濠まで含めると50m前後と考えられます。円墳は直径20m以下ですので、前方後円墳がひときわ大きいことがわかります。古墳のなかでも最も階層の高いといわれる前方後円墳が新たに発見されたこと自体、とても珍しいことです。反町遺跡のなかでも盟主墳と考えてよいでしょう。
前方後円墳の前方部からは長さ2.8m、幅0.7~1.1mの長楕円形の範囲に白色粘土を敷き詰めた跡が発見されました。ちょうど古墳の中軸線上に位置し、主軸方位が一致することから粘土槨(ねんどかく)と呼ばれる埋葬施設と考えられます。普通、後円部に主体的な埋葬施設が作られる例が一般的ですが、前方部から発見されたことは非常に稀な例と思われます。後円部に埋葬された主の家族が前方部に埋葬されたのかもしれません。
この粘土槨の底で、東側の側壁に沿うように鉄剣が一振り出土しました。鉄剣は長さ75㎝で、切先を南に向けていました。仮に北頭位に埋葬したとすると、左体側に沿って(腰から下げたような状態で)副葬されたことになります。
通常、鉄剣が古墳に副葬されるのはほぼ5世紀以前に限定されることや出土した円筒埴輪の形などから、この古墳は5世紀後半から末頃にかけて築造されたと推定されます。埼玉古墳群稲荷山古墳から発見された国宝金錯銘(きんさくめい)鉄剣とほぼ同時代の鉄剣と考えてよいものです。
ちなみに、反町遺跡第4号墳の鉄剣は稲荷山古墳出土の鉄剣(73㎝)とほぼ同じ大きさでした。もしかしたら字が刻まれているのではないかと担当調査員は色めき立ちましたが、エックス線撮影を試みたところ、残念ながら字は確認できませんでした。
埼玉県から発見された鉄剣は約20例ありますが、いまのところ前方後円墳から発見されたものは埼玉稲荷山古墳と反町遺跡第4号墳だけです。もちろん全長 120mの稲荷山古墳と同列には扱えませんが、遺跡周辺に有力な豪族が住んでいた証(あかし)と考えられます。
反町遺跡の西側には銭塚・城敷(ぜにづか・じょうしき)遺跡が隣接して存在します。昨年度は、古墳時代(4世紀~6世紀前半)の大規模なムラの跡が発見され、高床建物の木製扉や大規模な掘立柱(ほったてばしら)建物跡の倉庫、初期須恵器など一般的なムラからは発見されないような珍しい遺構や遺物が出土しています。もしかすると、銭塚・城敷遺跡は豪族の治めたムラで、どこか近くに豪族の居館が営まれたのでしょう。豪族が亡くなると、反町遺跡に前方後円墳(反町遺跡第4号墳)を築いて埋葬したと想像することもできます。
反町遺跡の周囲には野本将軍塚古墳や諏訪山古墳群など有力な古墳群があります。そうした古墳群との関係も興味深い点です。古墳時代、比企地方の歴史を明らかにするための貴重な資料が加わったことは間違いありません。古墳の調査は今後も続きます。成果に期待したいと思います。

反町遺跡第4号墳(前方後円墳) 反町遺跡第4号墳(前方後円墳)

反町遺跡第4号墳(前方後円墳) 

埋葬施設(粘土槨) 埋葬施設(粘土槨)

鉄剣出土状況 鉄剣出土状況

国内最古クラスの花瓶出土

調査区を斜めに横切る大溝跡(第36号溝跡)から青銅製の花瓶が出土しました。大溝跡は都幾川の旧流路と思われ、幅50m、深さ4mにも達します。花瓶は大溝がある程度埋没した段階の粘土層(地表面から約2m下)から発見されました。
花瓶は高さ8.8㎝ととても小さな製品です。現代の一輪挿しに似た細頸の均整のとれた丁寧なつくりです。徳利(とっくり)に似た形から徳利形花瓶とよばれています。
花瓶はケビョウとよみ、仏具の一種で花入れとして用いられました。表面には金の被膜が一部残されていたため、化学分析をしたところ、青銅製品の表面を金メッキ(金鍍金)した可能性が高いことが判明しました。発見された製品には一部しか金が見えませんが、驚いたことに銅銹(どうさび) に被われた下に、金の被膜が全面に残されていることがわかりました。
花瓶が出土した層と同じ地層からは、古瀬戸の合子(ごうす)と在地産の片口鉢という焼き物が発見されており、出土した花瓶も陶器とほぼ同時期の鎌倉時代後期(13世紀後半~14世紀前半)頃つくられたと考えられます。徳利形花瓶は鎌倉時代後期に出現するといわれており、国内でも最古段階の一例と考えて良いものでしょう。
いまのところ、周囲から鎌倉時代の遺構は発見されていません。仏教施設もありませんので、何故大溝から出土したのかわかりません。高坂台地には小代 (しょうだい)氏という有力な武士が居住していたことが知られていますが、その関係者が遺跡周辺に居住していたのでしょうか。今後の調査で手がかりが見つかると良いと考えています。

反町遺跡第36号溝 反町遺跡第36号溝(矢印が花瓶出土場所)

反町遺跡第36号溝

花瓶出土状況 出てきたときは鮮やかに輝いていました。

花瓶

※花瓶は、県立歴史資料館「まほろばの里・比企」展に展示しました。